
画像参照:RUGBY REPUBLIC
目次
最年長日本代表のロック大野選手を徹底解明!
ラグビーは大学から!大野選手の意外な経歴
大野選手は日本大学工学部の出身で、ラグビーを初めたのは何と大学生になってから!
ラグビーの日本代表選手には小学校入学以前の幼少期に始め、ずっと続けている選手も少なくない中、大学に入ってから始めた、という経歴は異例と言ってもいいでしょう。
高校時代は野球部、ラグビーは大学入学時に勧誘されて
大野選手は高校までは野球を続けており、日本大学工学部に入学した後も野球部に入部するつもりでしたが、大学入学時に熱心な勧誘を受けたラグビー部に入部することを決めました。
日本大学ラグビー部と言えば関東大学ラグビーリーグ戦に所属する強豪チームですが、大野選手が当時入部したラグビー部はこちらではなく、日本大学工学部のラグビー部でした。
全く注目されることのないリーグで試合をしていましたが、大野選手は一度だけトップリーグに所属する東芝ラグビー部で試合するチャンスが巡ってきました。
その一度限りのチャンスで東芝から合格の通知を得た大野選手は、内定が決まっていた企業に丁重に内定辞退を申し入れ、東芝入りを決めたのでした。
東芝ブレイブルーパスで才能開花!トップリーグでの功績
日本大学工学部を卒業した後、2001年に強豪東芝ブレイブルーパスに加入した大野選手、入部当初は出場した試合は限られていたものの、徐々にハイレベルの選手たちと共に過酷な練習を乗り越えた結果、2004/2005年のシーズンで初めてロックとしてベスト15に選ばれました。以降は、コンスタントに高いレベルでのパフォーマンスを発揮し、今までで合計9度ベスト15に選ばれた他、2009/2010年のシーズンではMVPに選出されるなど、数々のタイトルを獲得してきています。
過去3度のラグビーワールドカップに出場。日本代表歴代最多98キャップまでの軌跡
2007年大会でラグビーWカップデビュー!
フランス、ウェールズ、スコットランドにまたがって開催された2007年大会で、大野選手はワールドカップにデビューしました!
体格を活かしてスクラムに貢献し、持ち前の激しいタックルでチームを鼓舞しました。
この大会での日本の結果は、オーストラリア、フィジー、ウェールズ、カナダと同グループとなり、5カ国中4位と厳しいものでした。
しかし、4位と5位を争う最後のカナダ戦では、後半のインジュリータイム(ロスタイムのことで、ラグビーではインジュリータイムと呼ぶ)に平浩二選手のトライによって10ー12と迫り、とてつもないプレッシャーがかかる中、大西将太郎選手が右隅からの難しいコンバージョンキック決め、12ー12と劇的なノーサイドとなりました!
ラグビーW杯2011年大会を最年長選手としてチームの精神的支柱に!
続いてのニュージーランドで行われた2011年大会にも、大野選手はチーム最年長の33歳で参加して、体を張ったプレーでチームの精神的支柱として活躍しました。
日本代表は予選でニュージーランド、フランス、トンガ、カナダという強豪揃いのグループに入ったこともあり、同大会では前回大会を下回る5カ国中最下位という結果で終えることになりました。
前回大会では後半インジュリータイムでトライ・ゴールを決め、同点だったカナダも同グループとなり、多くの人が勝利を期待しましたが、結果は前回大会同様に同点。
勝ちがなく、順位も最下位とファンにとっては残念な大会となりました。
ラグビーW杯2015年大会南アフリカ戦、奇跡の勝利の立役者!
言わずと知れたイングランドで行われた2015年大会、大野選手は37歳と第ベテランとしてこの大会に参戦。
日本はスコットランド、サモア、アメリカと同じグループとなりました。
その緒戦、誰もが敗北を予想していた強豪南アフリカとの試合で、奇跡とも呼べる大金星を上げて世界を驚かせました。
この試合と試合結果を受けた世界の反応は、別に1記事を書けるくらいに濃い内容でした。
南アフリカに大金星をあげて3勝したものの、2位となったスコットランドとの試合で10ー45とボーナスポイントを取られて敗北を喫し、結果はグループリーグ敗退の3位に終わりました。
史上初100キャップ達成はいつ頃?2019年ラグビーW杯日本大会出場の可能性は?
6月6日の日本代表の追加招集を受けて、日本ラグビー史上初めてとなる代表100キャップが期待される大野選手。
今月開催される「リポビタンDチャレンジカップ2017」で6月10日にルーマニア戦、6月17日にアイルランド戦、6月24日には再度アイルランドと3試合が予定されており、大野選手の偉業は早ければ6月17日に達成されるかもしれません!